考えたくなくても勝手に頭の中がいっぱいになってしまうことは、実は幸せなことだった。例えば生きることとか死ぬこととか身体のこととか自然のこととか自分と誰かの関係のこととか心のこととか、生活の中、すぐ側に確かに存在しているけど、実体のないものについて。そういうものが、ぽつぽつ生まれて、それぞれを線で繋いで出来上がった星座は、自分の中から出てきたとは思えないような形のものもあったりして、ときどき感動に値する。これまで何かを作ってきた動機や原因は大抵『救い』だったことに気付いた。具体的な悩みや苦しいことがある時に、アクションを起こすことで突然ストンと納得できたり、出口が見つかったり、気持ちのやり場になったり、区切りを付けられたり、次に繋がるキッカケになったり、全てが希望だった。私は特別これといって宗教を信仰していないけど、作ること自体が神様になっていた。救われたいから、作る。とても具体的で、個人的で、小さなことであればあるほど、自分とは別の誰かが深く共感してくれるという不思議な現象も知った。
今、私の頭の中には、ゴツゴツした石みたいなもの(タスクとか、殺意とか)がいくつも詰め込まれていて、とても重たいし痛い。その石と石の間の、ほんのわずかなすき間を、星の素みたいな煙がフワッと通ったりする。わたあめみたいにグルグル回して、集めて大きな塊にしたいけど、たくさんのゴツゴツが邪魔で、形になる前に消えてしまう。考えが生まれなくなって初めて、考えることは尊くて貴重なことだと分かった。その中に希望があるとすれば、ほんのわずか、数立方ミリメートルのすき間、私の尊厳が、私の頭に間借りしている、誰にも侵すことのできない自由な空間。星の素は星にならないけど、その何者でもない状態を、ただ把握して、記録することは出来る。多くの人は、ちゃんと目に見える作品を評価するけど、断片的に書き記したり、切り取ったりすることは無意味で無価値だろうか。日々の圧に全力で抵抗して、美しさを感じる心を忘れないために、しがみつくようにつまらないものを撮り続けることは、カメラが趣味のオシャレ女子と並列に扱われてしまうのだろうか。だとしても、分かってもらえなくても、何の能もない、何も作らない人だと思われても、毎日手を動かしているタイプの努力家に見下されても、それでも、いつかは形になって伝わるかもしれないと信じて、無意味で無価値な抵抗を続けなきゃいけない。また神様に会いたい。
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