台風が接近している。空気は呼気みたいに生温かく湿っていて、チリやホコリが風に舞っては、同じところをグルグルと回っている。私は薄目を開けながら歩く。
天気予報で台風の接近が予想されると、途端に街じゅうのレジ袋が、意思を持ち始め、飛び回るので、普段の10倍くらいの袋が見られる現象が起こる。
空気も建物も、どんよりと灰色になって、電光掲示板や看板の鮮やかな明かりの色が、妙に浮いて見える。低くて重たい雲が、空を覆い隠している。向こう側にある西日の光で、黒っぽい雲の輪郭だけが、蛍光オレンジに輝いている。(雲といえば、CGを見て、本物みたい!と思うのが通常のはずが、本物の雲を見た時に、CGみたい!と感じることがあまりにも多いので、なんだかおかしなことになっている。私が存在しているのは、現実世界ではなく、電脳世界なのかもしれない。)
じんわりと汗をかいて、束になった髪の毛がおでこに貼り付く。台風の前ぶれにより起こるすべてのことが、ひどく胸をざわつかせる。自分の身体がこのまま野獣か化け物になってしまう気さえしてきた。牙が生え、全身は毛に覆われ、鼻が飛び出て、爪が鋭く伸び、喉の奥から低いうなり声が勝手に鳴る。目は紅く血走って、人間の肉を求めるのだ。再び人間に戻った時には、友達を食べたことも覚えていない。ああ。
台風は不穏な気持ちを運んでくるけれど、でも世界が全部滅びたら、それはそれで心穏やかになる気がする。人間も電車もない世界は、理想郷そのもの。
街や駅や電車は、人で溢れて、その中に私がいて、昔のことや、誰かのことを考えて涙が出そうになるとき、他の人たちは今この瞬間、一体何を考えているんだろうと思う。涙を乾かすために、まばたきを我慢しているとき、スマホを見ている人たちは、何を考えているんだろう。夕食の献立?次の休みの予定?集合住宅の窓の明かりの色のことは?500年後の未来のことは?自分以外のたくさんの人たちの、頭と心が覗けたらいいのに、と思う。自分以外の人たちにそれぞれ生活があって、人生がある、というのが小さい頃からどこか信じられないところがあった。私が消えた途端、世界も消えるかもしれない。他の人たちも、そんな風に思っているだろうか。いつだって、理由もなく悲しい気持ちにむしばまれそうになっているだろうか。私は普通だろうか。それとも頭がおかしいだろうか。特別だろうか。みんなそうだろうか。
大勢にとってどうでもよくても、誰かにとって特別であれば、それは特別なわけだから、私もそういう風になりたい。誰かの特別になれたら、もちろんうれしいけど、自分にとって誰かを特別に思うのは、おこがましいし、引け目を感じる。自分なんかに好かれたら、きっと迷惑だろうな、なんて中学生のようなことを大人になってもまだ思っている。劣等感が強いので、仲良くしてもらってる、とか、一緒にいてくれてる、とか思う。それは相手にも失礼なのでよくない。私は人の良いところを見つけるのがとても上手いし、自分の悪いところを見つけるのは、もっと上手い。
私が神様なら、悲しみと美しさは比例していて、それは科学的にも実証されています、ほんとうです。と公表して、人びとが、自信を持って悲しめるような、悲しみを肯定出来るような世界を作ることでしょう。笑顔が一番とか、前向きが一番とか、そんなの知ってるわ、うるせえわ、出来るならとっくにやっとるわバカ。と思うので、美しいなら、まあいいか、ああ悲しい、でも美しさを感じる心がどんどん研ぎ澄まされていく気がする。幸せ。悲しい。忙しい。笑っちゃう。となったらいい。悲しがりの権利はこうして守られるのであった。
20160808
20160804
無題
最近あった悲しいことは、
毎朝、電車の窓から見えるガスタンクが、
新しく建ったマンションで遮られて、見えなくなってしまったこと。
大きな薄緑色の球体が3つ、上半分だけぽっかり現れる、異様な様子。
毎朝それをよく見たくて、つり革に掴まりながら、背伸びをしていた。
でも、もう電車を降りて、マンションの向こう側まで行かない限り、見ることはない。
多摩川、テニスコート、銭湯の煙突、屋上、看板、タクシー会社の駐車場、
布団をたたむように、顔を洗うように、目で追うことが習慣になっている、そんな風景があって、
ただ見るだけで、おまじないみたいに、ささくれ立った心がほんの一瞬柔らかくなる。
変わらずそこにあるということが、救いになっている。
久しぶりに会う人には、大抵、全然変わらないね、と言われる。
相手に悪意はなくても、私としては、人から遅れをとってるだとか、
全然成長してないだとか、すべて悪い意味に捉えてしまう。
はいはいどうせ、そうですよ、みなさんご立派ですこと、
生活も、環境も、見た目も、考えも、めくるめく変わって、素晴らしいわね、
と、家に帰ってからも、心の中でふつふつする。そういう自分のことも嫌だし。
でも川やガスタンクはただあるだけで、そんな風には思わないからすごい。偉い。
毎朝私にほんのちょっとの勇気をくれたガスタンクみたいに、
私も誰かのおまじないになれるのかな。
毎朝、電車の窓から見えるガスタンクが、
新しく建ったマンションで遮られて、見えなくなってしまったこと。
大きな薄緑色の球体が3つ、上半分だけぽっかり現れる、異様な様子。
毎朝それをよく見たくて、つり革に掴まりながら、背伸びをしていた。
でも、もう電車を降りて、マンションの向こう側まで行かない限り、見ることはない。
多摩川、テニスコート、銭湯の煙突、屋上、看板、タクシー会社の駐車場、
布団をたたむように、顔を洗うように、目で追うことが習慣になっている、そんな風景があって、
ただ見るだけで、おまじないみたいに、ささくれ立った心がほんの一瞬柔らかくなる。
変わらずそこにあるということが、救いになっている。
久しぶりに会う人には、大抵、全然変わらないね、と言われる。
相手に悪意はなくても、私としては、人から遅れをとってるだとか、
全然成長してないだとか、すべて悪い意味に捉えてしまう。
はいはいどうせ、そうですよ、みなさんご立派ですこと、
生活も、環境も、見た目も、考えも、めくるめく変わって、素晴らしいわね、
と、家に帰ってからも、心の中でふつふつする。そういう自分のことも嫌だし。
でも川やガスタンクはただあるだけで、そんな風には思わないからすごい。偉い。
毎朝私にほんのちょっとの勇気をくれたガスタンクみたいに、
私も誰かのおまじないになれるのかな。
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