私、実は存在していないのかも、と思うことは、前から何度もあった。駅で、スーツケースをガラガラ引く女に、車輪で足を轢かれて、女は違和感をおぼえた顔でこちらをチラと見て、何度もなかったようにまた歩き出したり、信号が青に変わって横断歩道を渡りはじめたら、乗用車が私の右側面、太ももの辺りにゆっくり突っ込んできて、びっくりして窓越しに車内を見たら、運転手は何故か納得いかない顔でこちらをチラと見て、そのまますぐに走り去った。ついこないだだって、私が乗ろうとした瞬間に、エレベーターの扉が閉められた。
今日もへとへとのへろへろになりながら新宿駅まで歩いているあいだ、今夜は絶対にカレーが食べたいな、と考えていた。カレーだな、と思いながら電車に乗って、カレー、と思いながら降りた。うちの駅のそばには、なぜかココイチが2つもある。でも私は猫舌なので、あまり行かない。他にカレーが食べられる場所は、ファミレスくらいしかなかった。ショッピングセンターの中にあるファミレスは、夜の9時以降、ぐるりと回った暗いところにある、小さな通用口から入店しないといけない。ぐるりと回って暗いところを通って、小さな通用口から店内に入ると、ピポピポピポピポピポ、と鳴った。店員が来ないので、少し客席の近くをうろうろしてみたものの、何も起こらない。きょろきょろ見渡すと、女の店員が、こちらに背中を向けて、メロンソーダがたっぷり入ったドリンクバーのグラスを、厨房の中にいる男に渡しながら「コーラ派?」とかなんとか楽しそうに話している。それに気づいた瞬間、私の中で何かがプツンと切れて、そのまま店を出た。背中越しに、ピポピポピポピポピポ、と聞こえた。忙しいならまだしも、ジュースの話に夢中で気づかれないなんて。私また存在してなかった。ジュース以下。悔しくなって、もう知らないんだから、と拗ねながら歩いた。どうして私って時々いなくなるんだろう。
カレー、コンビニにならあるかな、と思ってコンビニに入った。カレーはあったけど、持つとずっしり重たくて、なんだかすべてが嫌になったので、明日のパンを選ぶことにした。まだ見ぬ明日、やっと素敵なことが起こるかもしれない、その第1日目かもしれない明日。そんな明日にふさわしいパン。未来のパン。すると、パンの棚の端の死角から、突然人が現れた。その人はスーツを着たサラリーマン風なんだけど、白い杖を左右に動かしていた。私は驚きと、ぶつかってはいけないという思いから、体をのけぞり、一歩後ろに下がった。足音が全然しないタイプなので、それはもう静かに驚いた。けれどその人は、私の動きを察知してすぐにぴたりと動きを止めた。きっとほんの微風で。ああ、私いるんだ、この人にはちゃんと私の存在が見えるんだ、と思った瞬間、涙がじわりとこみ上げてきたので、冷蔵庫の前に移動して、たくさん並んだ炭酸水のペットボトルを見つめながら、ただ無心になるように、泣かないようにつとめた。私は、いた。目の見えない人に見えるんだから、それは本当にいるってことだ。今までのこと全部チャラにしてもいいかなと思えるくらいのことだった。素敵なことが起こる第1日目は、明日じゃないのかもしれない。
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