20160627

無題

 電車に乗るとき、いつも同じ車両の同じ場所に立っている。同じ看板、同じガスタンク、同じ給水塔、周りの乗客の顔ぶれも同じ。でも普段と反対側の窓から景色を見ると新しい発見がたくさんある。マンションのベランダの壁が、半透明のガラスのような素材で出来ていて、赤い空き缶(おそらくコカコーラ)で埋め尽くされているのが透けて見える。缶の海は、浸かると腰くらいまでの深さがありそうだった。一瞬目に入ったどうでもいいものを、1ヶ月経ってもまだ思い出している。
 
 雨の日、頭痛外来に行った。おじいちゃん先生に、フワフワした筆や、ギザギザした平たい金属製のローラーや、四角いハンマーなどで、顔や手足を撫でられたり軽く叩かれたりした。握力も測ったし、足の指を曲げられたり、指を見たり、舌を出して見せたりもした。頭の検査は忙しい。靴下を脱ぐのが少し恥ずかしかった。そのあと麻酔科で長い針の注射を頭に4回くらい打たれ、アームがたくさんある、強そうな機械の光を喉に照射されながら、仰向けでしばらく天井を見続けた。このまま意識が遠のいて、目が覚めた時には人造人間になっているかもしれない。それも悪くない。天井の模様は、白地にたくさんの茶色い虫みたいな、よくあるやつだった。小さい頃は、あの模様が動くような気がしていた。仰向けになったまま、することがないので、天井の模様が動くのを待った。
 
 朝、電車の中で貧血になった。吐き気と共にどんどん目の前が白くなって、見えなくなっていくのが分かる。何か別のことを考えよう、何か別のこと。血の気が引くと景色が白く見えるということは、血のおかげで色が見えてるってこと?それってすごくない?だって血は赤いのに。赤い血を通して色んな色が見えるなんて。ああ、ああ吐きそう。でも絶対に吐きたくない。座りたいけど席は空いてないし、床にしゃがんで、大ごとになって、電車が遅れでもしたら死にたくなる。血のおかげで色が見える。ああ、ああ吐きそう。もう無理、と4回思ったところで電車が駅に着いたので、途中下車して座り込んだ。しばらくして立ち上がり、自販機を探していると、ベンチに座っている男性が、上半身を前に倒したまま、動かないのを見つけて、それは眠ってる風でもなく、明らかに具合が悪い様子で、自分が今貧血じゃなかったら絶対に気が付かなかったな、と思った。具合が悪い時の方が、具合が悪い人を見つける能力が増す。心の中で、お大事に、私も今ピンチなの、ごめんね、お互い良くなろう、と彼に語りかけた。
 
 とても暑い日の午後、フルーツパーラーの前を通った。ジュースやパフェだけでなく、白と茶色のパンが互い違いになっているサンドイッチもショウケースに飾られている。レジで会計をしているおばあちゃまと、退屈そうに待つ小さな麦わら帽。やっぱりフルーツパーラーは特別な場所で、現実と夢の世界のちょうど真ん中くらいに位置する。でも麦わら帽は、ここが特別な場所で、だからおばあちゃまが手を引いて暑い中連れてきたなんてこと微塵も分かってなくて、もちろんそれで良くて、きっと今日のことは記憶にないまま大人になる。でもそれで良くて、それで良いんだけど、私はしばらく覚えていたいと思った。ただそこに偶然居合わせただけの何の関係もない人間なのに。おかしいね。
 
 宇宙のことを考えると自分の悩みなんてちっぽけに思えるよ、みたいなの、それ言ったら全て無意味になって、石ころの方が地球を構成する鉱物の一部だし人間より断然意味ある、そもそも意味、無意味について考える無意味さよ、となって無感情で死を待つほかなくなる。自分にとって意味があるかどうかがいちばん大事で、だから小さい考えも自分にとっては宇宙並みに重大で、まるでどうでもよくならない。人間に生まれた以上、小さいことウジウジ考え続けることこそがつとめで、びくともしない偉大な宇宙に抗って、哀れに滑稽に、考えて悩む権利を行使したい。と、宇宙望遠鏡の本を読んで思った。

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